現在進行形は嫌われているようである

以前、「苦労した人間の話は後から語られるときは美談として語られるが現在進行形で苦労している人間は忌避される傾向があり、他人の不幸ってコンテンツなんだよな」といった趣旨のツイートを見たことがある。(多分君に友達はいらないさんだったと思うが)

これと同じような現象にオタクが自慰行為を示すのに「致した」を用いるというのがあるような気がする。オナニーという言葉はあまり使われないイメージがある。多分語感が汚いというのもあると思うが、現在進行形っぽいからともいえないか?

化粧にしてもそうだ。化粧した後の顔を好む者は多いと思われるが、電車内で化粧をしているという状態を喜んで見るものは少ない。後は、食べている時の口の中や食肉の加工の工程を見ることなども好む人は少ないように思える。妊娠という事実は喜ばれるが、それに至るセックスの事実は語られるのを忌避されがちな気がする。

なーんかこれ、不気味の谷現象っぽくないですか?思い出補正(というより記憶という形に処理する際の加工と言った方がそれっぽいか?)によって作られたふわふわしたイメージに近くはあるけど微妙に違うために嫌悪感を覚えるのかもしれない。根拠はないのでアレなんですけども。

一方で逆に現在進行形の方が好まれることもある。雪が降っている時の瞬間や景色、あるいはスポーツとか?と思ったがあれも現在進行形が好まれているというよりも変化した(言うならば傾きが変化した、と言うイメージ)ところが好まれているのではないかという疑念とこの疑念はこじつけなのではないかという気持ちもある。

今回は95%僕の偏見の可能性が高いので「思われる」を多用したが、うーん、よく分からないな、誰か何かいいアイディアあったら教えてください。また加筆するかもしれません、取り敢えず終わり。