抽象を中傷しない

抽象を殴るな、具体を殴れ。それなりの昔に思いついた言葉です。

例を出せば、現実に気に入らない人がいたとしてそれについて文句言いながら(その人が男なら)「〜〜だし、男はクソ」みたいに締める文章(男の部分が女だったり老人だったり政府だったり、運動家だったりする)を書くのはやめましょう、とかそういうことを意味した言葉です。

人間は本来具体的な何かに怒りを覚えるんだと思います。例えば、上記の「男はクソ」の例で言えばその人が今まで会った男について怒りを覚えてるはずで、それを抽象的概念である「男」に置き換えるのは如何なものかと思うわけであります。

しかし、この言説にも問題がある。一つ目はその具体が本当に具体なのかという点です。詳しく言えば、人間の記憶フィルターを通していく中で具体がもやもやっと変化して具体でなくなってしまう、抽象とまでは行かなくてもそれに似たものへと近づいてしまう、という点。もう一つは、具体を徹底して「その時、その社会背景や歴史の中、その自分の心理状態で見た」〇〇、という風に扱って要素を分解しすぎると最早なんの意味も持たないという点。共通項などほぼない。全てがただの私的体験の羅列となってしまう。

ただ抽象を殴ることによって流れ弾が他の人に当たり、戦火が拡大していくのには賛同しかねるんですよね。さて、どうしたものか。

 

【追記(10/12)】

最近生きていて漠然とした存在に対する怒りがふつふつ湧いてきました、自分でもどういうことなのか良くわからなくなってきましたとさ、ちゃんちゃん