現実の中の虚構の中の現実なのだろうか

以前、漫才は現実の中の虚構でアニメは虚構の中の現実なのではないか、と思った。

そのきっかけはいつしかのM-1銀シャリが優勝した時に「最近はショートコント芸人ばかり台頭してたが、やっと正統派漫才師が優勝した」というコメントを見たことである。コントと漫才って何が違うのだろうと思い調べてみたらコントはキャラを演じるが漫才はあくまでも本人が行う、という違いだとしているところが多かった。

しかし、うまく納得がいかなかった。なぜなら日常生活で漫才みたいな会話はなされないからである(まあ、実生活の中でも「漫才みたいだな」と評されるような会話はあるのだが、漫才みたいだなと評されること自体漫才が普通の会話とは異なるものだということの証左であるような気もする)。つまり、端的に言えば「いやいや、あなたたち、漫才をする人を演じているじゃあないですか」ということである。

逆にアニメや漫画などは虚構でありながらもその中で一本の筋が通ってることが求められている気もする。

結局虚構の中のズレ的なものが面白さの源泉なのかなあ、これ自体一ヶ月くらい飛び飛びで考えていたので自分の中でもワケ分からなくなってしまった。とりあえずこの辺でおしまい。

まあでも、漫才は虚構かもしれないが、漫才がなされているということは現実だよね。