価値勝ち山の狸

勝利には価値があるという言説は誰しもが聞いたことがあるだろう。要するに勝ちは価値ということである。

 

そもそも勝利は価値のあるものに対してつけられるものだ (例えば、スポーツの試合などで勝利の条件は一般に敗北の条件より満たしづらい) という話はあるがまあそれは置いておこう。 (書いている途中に勝利の条件を満たすための動機付けが価値にあるのでは? お互い負けに行くと負ける方が難しくなるので価値が最初なのでは? などの堂々巡りの疑問が湧いた 多分独立の軸を用意してあげるとスッキリする気がするが、うまく説明できる人がいれば教えてください)

 

一方で、価値があるからこそ勝つみたいな事象もある。例えば、どれが本物の【有名画家】の高級絵画でしょう?といった問題が出されたりする。あれの解説で行われる〇〇のこの部分が非常に【有名画家】的な筆使いで〜〜という言葉を聞く度に(それがそいつっぽさがあるという話は分かったよ。そうではなく、それのどこに美しさがあるのかなどを教えてくれよ)思うのは私だけではないだろう。この場合【有名画家】に価値があるからその作品も他の作品に勝つ(この表現が適切かは分からないが)となっているだろう。

 

他にも芸能人を見かけるというただの見るという行為にも価値があるものを見たことによる価値が生まれたりするよね。芸能人(という一般的には価値がつけられた状態の人間)が絵本を書いたり、個展を開けばそれだけで付加価値はつくし、価値判断の対象にもなることができる。

 

芸能人への恨みとかではなく、価値あるものにまた価値が集まるという事実、資本家にさらに金が集まる資本主義を憂いる人間のようにそのことをなんとなく悲しいと思っているだけである。

 

おしまい