誰より何も分からない
ちょうど先ほど思いついたのでここに。
「誰が言ってるかよりも何を言っているかの方が大事だろう」という言説がある。私もそれと同じような思いを持っていた。私自身、誰が言っているかの部分での判断で言ったことを受け入れてもらえたこともあればその逆のこともあり、そのうえで言ってることの内容で判断してほしいという思いがあった。
しかし、言語というものが私的経験を他者に伝える記号にすぎないとするならば違う経験を保有する人間同士で言葉の意味が変わってしまうのではないか?言葉は文脈によって意味合いが異なることは知られていることであるが、その人のそれまでの人生がここでいう文脈にあたるのではないか?という疑念である。
金脈を掘り当てれば大成功だった昔の時代とは違い、今は文脈を読み当てる事が必要となってきている。この視点は大事であろう。
ただ、この意見を突き詰めていくと「同じ川には二度と入れない」ように同じ人間が放つ同じ言葉でも意味が変わってしまうのではないか。
の後半部分でも述べた「ただの私的体験の羅列となってしまう」という問題である。
結局またグルグル回ってこの話になってしまった。うーん、思考が詰まったのでとりあえずここで終わり