どっちが近くのお知らせかい?

「知覚世界が違うだけで知覚世界内の価値観は一緒」と「同じ世界を感じながら生きている」のどちらが気分が良いだろうか?

逆転スペクトルという話は皆さんご存知だろうか、いわゆる「私の見ている赤とあなたの見ている赤は同じ赤色なのだろうか」という問いである。あるいは自分がズキズキするこの感覚が他人だとチクチクしたりフワフワしたり感じているのではないかという懐疑を持ったことがある人ならばそれと同じような話である。

さてここで、この話をもっと広げてみよう。私は、知覚世界が違うだけで知覚世界内の価値観は一緒なのではないかという一種の仮説を提案したいと前々から思っていた。

つまり、緑が好きな人と赤が好きな人は実は知覚世界においては同じ色を好きになっているのではないか、丸が好きな人と直線が好きな人も知覚世界においては同じような形状のものに見えていてそれを二人とも好きになっているのではないか、とんかつが好きな人も寿司が好きな人も知覚世界内では同じような食感、味、風味を感じているのではないかという説である。思考や信念、考え方にも同じように当てはめられる。

もちろん、他人の知覚世界は簡単には測れない以上、真偽は分からないし、仮にこの仮説が本当だとすると現実世界が知覚世界として人間に取り込まれていく中でどれだけの変換がなされているのだと、頭がおかしくなりそうな気分になってしまう気がする。

では、初っ端の問いに戻ろう。上記で示したように「人類は皆知覚世界内の価値観が共通のものである」のと「人類は共通の世界を見て聞いて感じている」の、皆さんはどちらが好み?