Esportsをスポーツと比べるナンセンスさ
歴史の長さと共有感
共有感は歴史の長さと似ていますが、どちらかといえば(もう亡くなっている人間なども含めて)共有されているものという意味です。例えば、間違った意味で使う人が50%を超えていてもそれが誤用として扱われるのは過去の人々の使い方が票数として数えられるから。
そういう意味でルールが不変、多くの人に共有されている(刻まれている)のはゲームという企業によって作られたルールと親和性が全然違う。
また、そもそもスポーツは百年、囲碁将棋は千年くらい生き残っているもので、それとここ数年流行っているいくつかのゲームを比べるのはジャンルとか以前に比較対象として微妙と言える。個人の好き嫌いは別としてベートベンの第九と昭和歌謡を比べるようなもんである。
伝統だから偉いとかではなく、生存の強度的な意味ね。
そのような揺らがないものの上で揺らいでいる人間が見たいのかもね。
書き殴り後進展がないシリーズその2、一旦区切りとして公開。