友と恋と家、達と人と族
恋人っていうのはこれから家族になるもの、その越境の余地こそが恋が恋たる所以なのかもね、という話。人間はどうやら変化量(≒微分)でものを捉えがちというのはまあ巷で言われているけど、一定の親密ラインを超えてしまうとそこから超えるものがない。だから羽川翼は阿良々木暦の恋人にはなれなかった、のでは?(アニメしか見てないのにテキトーなことを言うな)
マリとシンジもお互い4回しか会ってないけど結ばれたてたけど、なんか多くの現実での結婚ってそんなもんでは、お互いそれぞれの人生をそれぞれの立場で頑張って何となく交わった。人と人の交流なんてそれくらい因果がなくて良いんだよ。
達から人へ、人から族へ
段階を踏むということが人生や恋愛においても大事なのかもね。
半年前に書き殴ったけど進展なさそうなのでこの辺で一旦区切りとして公開。